セキュリティ

セキュリティ

最近、世の中が便利なったおかげというか便利になったせいでというか
自分の身近ではない情報まで色々と耳にする事が多くなりました

世の中が物騒になったという事も言えるのかもしれませんが
犯罪件数は総数だけ見ると減少傾向にありますし、検挙率も横ばい状態のようですが
イメージとは少し違うと感じてしますのではないでしょうか?

どういう事に巻き込まれるかわからないという心配からも
最近では保育園等では園の出入りの際に非常に気を遣っているのがわかります

セキュリティ強化の一環として、カードを使って、玄関から出入りしたり
迎えに来る時間や迎えに来る人を入力しておく必要がある園も増えてきているようです

少し話はそれますが、昼食や補食が必要かなどという事も入力できるようになっているようです

安全面に配慮したセキュリティとなると
将来的には静脈認証や網膜認証のような銀行並みのセキュリティになるかもしれませんし
また、そのような設備による安全を園の売りとする保育園が出てきてもおかしくありませんね

いろいろな悲惨な事件が元々の原因なのかもしれませんが
それだけ色々な情報が入るので
犯罪がより身近に感じられるようになってしまったという事を考えると少し複雑な気持ちになります

子どもを守るという意味でも近所の子どもの目を配り
話しかけたりしてくれていたのが、私が子どもだった頃では日常だったように感じられますが、
今では、同じような行為をすると、もしかすると、そのような無償の善意とも取れる行動も
危険な行動を判断されてしまいかねないようになってしまいましたね

どこからなどと線引きする事は非常に難しい問題だと思いますが
ちょっと難しい、そして悲しい時代になってしまったと感じてしまいます

シーソー

シーソー

公園に行くとシーソーがおいてあると、子どもは喜んでシーソーで遊び始めます

保育園児たちが、公園に遊びに行くと、色々な遊具あるので、
園庭があっても公園に行きたくなるのには遊具で遊びたいという事も理由のひとつかもしれませんね

私が子どもの頃のシーソーと言えば
全てが同じような形だったのですが
最近では一直線の棒(板?)のようなタイプとは異なる
半円のようなシーソーもある事に驚きました

シーソーに乗る時に、子どもの頃には掛け声を掛けたものでした

私の住んでいる所では、ギッタンバッコンンという言葉を使っていたのですが
地方によってこの掛け声が異なるようで、ギッコンバッタンって言う所もあるようです

この掛け声は、順番に行うって事を教えるための幼児語とでもいえばよいのでしょうか?(笑)

普通の一直線の棒(板)のタイプのシーソーには
1対1で乗るタイプもありますし、2人ずつ片側に乗って合計4名で遊べるタイプの物もありました

同じくらいの体重にならないと
交互に上がったり下がったりを行いにくいのがたまにキズって感じでした

同い年でも成長のスピードが違うのか
早生まれの子どもと、4月、5月生まれの子どもだと
比べてみると早生まれの子どもの方が少し体が小さいって事があるので
バランスがとりにくいなんて事もありました

片側に複数の子どもが座れるタイプの物に1対1で乗って
体重差をなくすために片方の子どもが一番端に座って
反対側の子どもは端に座るのではなく中間点に近い所に座って
バランスが取れるようにして遊んでいたなんて事もあります

ある程度大きくなってくると、蹴る力もついてきているので
勢いよく下がってきて地面につくなんて事もあり
お尻が痛くなったり全身に衝撃を受けたりしていた思うのですがその頃は全く平気でした

少し前から、直接、片側のシーソーが地面に触れるのではなく
半分だけ地面から飛び出している古くなったタイヤにシーソーの端がつくように
まさに衝撃を和らげるように作られているシーソーなどを目にすることがあります。

乗る事はめったにないでしょうが、
昔のタイプだと急に地面にシーソーが着いた時に
衝撃で腰などを痛めてしまいそうで大人は怖くれ乗れないですね

水たまり

水たまり

梅雨にはいってジメジメした日々が続きますね

洗濯物が乾かないなんて事もありますし
大人になるとあまり雨が続くとうれしくないという方も多いのではないでしょうか?

でも、保育園や幼稚園に通っていた子どもの頃って
雨が降るとなぜかうれしかったという記憶がかすかにありませんか?

カッパを着て長くつをはいて
保育園や幼稚園から歩いて帰ってくる時が楽しかったなんて思い出はありませんか?

雨あがりの道で、舗装されていない道を歩いていると水たまりがあって
そこに向かって突進していったなんて事はありませんでしたか?

保育園児や幼稚園児の時は親と一緒に帰ってくることが多いので
水たまりに突っ込んでいって遊ぼうもんなら
すぐに汚れからダメと怒らててすぐに引きずり出されていましたよね

小学生の低学年くらいだと
一人で、もしくは数人の友だちと帰ってくるので
雨上がりの舗装されていない道路だと
すすんで水たまりから水たまりへ渡るように歩いていませんでしたか?

水たまりへ行って汚れれば怒られるはわかっているのに
なぜか吸いよせられるように泥水の水たまりへと向かったんでしょう?

毎回毎回という訳でなく
突然の行動ともいえるくらい不定期で不思議な現象だったと思います

何故と聞かれても、その時も今も答えられないのではないでしょうか

同じ小学生でも、高学年生くらいになってくると
このような行動をすることはなくなりますが
わずか数年の間にどのような心境の変化があったというのでしょう?